2024年4月27日土曜日

福山城


広島県福山市にある「福山城」。

何度も訪れていますが、最初の出会いは偶然かつ衝撃的でした。

大学受験のときです。

このときは「瀬戸大橋」がまだ開通してませんでした。

そのため当時は、海路にいろいろなルートが存在し、地元「新居浜」と「福山」を結ぶ水中翼船のルートがありました。

父親の引率で、まだ真っ暗な早朝に「新居浜港」を出発したのを覚えています。

録音したラジオを聴きながら、参考書を片手に、「ながら勉強」をしてましたが、到着前に日の出を迎えました。

神々しく海面が照らされるのを眺めながら、幸先の良さを感じた次第です。

「福山港」に着いて、新幹線に乗るべく「福山駅」に到着。

そしてフォームに上がってビックリです。

道路を挟み、城の高い石垣が隣接していました。

「天守閣(再建)」や「伏見櫓(重文)」の構造物が、新幹線のフォームと石垣の高さが近しいため、水平に近い角度で展望出来ました。

こんなアングルで、お城を眺めるのは初めてです。

行きたかった城をサプライズで眺められ、ラッキー度が上がってきている気がしました。

不安定な自分の学力に、運気を呼び込めるよう天守閣に手を合わせたのを思い出します。

その後は、親にはいろいろと叱られましたが、何とか浪人しないですみました。

写真は、社会人になって「青春18切符」でウロウロしていたときに撮った一枚です。

近世城郭としては最終期の築城となりますが、有名な城主として、幕末の老中首座「阿部正弘」がいます。

激務も祟ったのでしょう。

39歳で亡くなってしまいますが、「黒船来航」以降の、幕府近代化に向けての様々な取り組みを行いました。

維新を迎えて、朝敵となってしまい、新政府軍との戦場にもなりますが、天守閣を中心とした本丸は、現存してました。

しかし第二次世界大戦の空襲で消失。

その後、文化ゾーンとして憩いの場となっています。

振り返ると、受験のときに拝んだことは、何かにあやかれていたような気がします。


 

2024年4月20日土曜日

萩城跡


「科学忍者隊ガッチャッマン」がやってきたのかと思いました。

少しうつむくような姿勢で、溶けるのを気にしながら、ソフトクリームをなめてました。

そのとき視界に入っていた地面に、突如と黒い影が舞い降りたのです。

そのアニメの大好きだったシーンがオーバーラップしました。

何と頭上を飛んでいたトンビが襲ってきたのです。

ソフトを狙ったらしく、握っていた左手首に体当たりされました。

幸い爪で引っかかれるようなことはありませんでしたが、衝撃でソフトを落としてしまい、地面がグチャグチャです。

しかも場所は、写真にある「萩城」の大手門の前・・・。

おっさんが一人で、ソフトクリームを食べていること自体、絵面としてかなり痛い光景です。

そいつが観光地のど真ん中で、落としてベチョベチョにしているのです。

加害したトンビも現場から飛び去っていません。

事情を訴える状況すら奪われました。

襲われた驚きもあり、どう片付けようかと、しばらく呆然と立ち尽くしてしまいました。

しかし天使が現れました。

近くにいたガイドのおばちゃんが小走りにやってきて、「コロナで観光客が少なくて、トンビがお腹をすかせているの。勘弁したげて。片付けといてあげるから。」と助けてくれたのです。

城には既に何度か来ているので、深々とお願いしてその場を立ち去りました。

ここは「関ヶ原の戦い」で敗れた後の、江戸時代の「毛利氏」の本拠地です。

天守閣もずっと残っていたのですが、残念ながら明治になって取り壊されました。

しかし石垣はきれいに残っています。

砂浜からの城山を眺める景観は、昔のままの絶景かと思います。

思い出しながら書いてても動揺してます。

毛利氏の話はまた改めてさせて下さい。



 

2024年4月13日土曜日

玉簾の滝(たますだれのたき)


山形県酒田市の北部、秋田県との県境にある「鳥海山」の南側に位置します。

約1200年前に、不動明王のお告げによって弘法大師が発見したそうで、パワースポットとしても有名だそうです。

伺った頃は、そのような言葉もまだなかったように思いますが、駐車場に停めた時点で、その霊感高らかな雰囲気が伝わってきました。

意外だったのは、滝までの道程がほぼ平面だったことです。

滝のサイズとしては、高さ63m、幅5mとそれなりの規模ですが、岩陰とかの遮るものが全くないのです。

滝の眼前に多くの杉木立こそありますが、フラットに林立して、遠方からでも滝が綺麗に拝めます。

そのまま滝からのマイナスイオンが、ここまで届いているからだとわかります。

季節は冬景色になる直前で、落葉樹の葉っぱはほとんど落ちて、裸の木々の状態でした。

滝の形態は、〝直瀑〟と呼ばれるらしく、見事に上からストンと落ちています。

写真の通り、重力に逆らうことのない垂直な景観でした。

そのままスタスタ歩いて行くと、滝が発しているミストが漂ってきました。

近づくにつれ、そのサイズは増していき、水滴となっていきました。

お肌ツヤツヤ、天然の美容液だと実感します。

当然ながらマイナスイオンの濃度も増していきます。

霊験と美容が渾然一体となる感じは、初めてのことでした。

次回に来るときは、奥様をご案内したいと思います。




2024年4月6日土曜日

神田川


大好きな「かぐや姫」の曲名にもある「神田川」。

以前「東中野」に住んでいたとき、マンションのすぐ近くをこの川が流れていました

住宅街の隙間を縫うように流れてましたが、曲のバイアスもかかってか、非常に趣を感じていました。

昼夜問わず、思い立てば軽くランニングしたりとか、散歩がてら食事処(ラーメン屋が多い。)を探したりして、いつもウロウロしてました。

川のルートは、「東中野」のある新宿北側から、「高田馬場」まで北上し、そこから東に向かって「JR中央線」に沿うように合流して、最後は「隅田川」に注ぎます。

写真は、東に向かい始めた「目白台」から「江戸橋」辺りの川沿いの桜です。

このときは千葉の「西船橋」に住んでいたのですが、仕事の関係でこの辺りに立ち寄りました。

丁度花見の時期で満開の桜に見惚れました。

思い起こせば、神田川沿いは桜の名所です。

座って花見を出来る場所はありませんでしたが、ビール片手に飲みながら、これも昼夜問わず散歩してました。

なくなればコンビニで補充し、更に進みました。

今回は飲むわけには行きませんでしたか、あのときを思い出しつつ、時間の許すまで花見を楽しみました。

まさしく、リメンバーが似合う神田川です。


2024年3月30日土曜日

桜とデルタ


天気の良い桜が満開の時期でした。

このときに気がついたのですが、今まで「ランチアデルタ」を、桜と一緒に撮影したことがないのに驚きました。

桜の臼桃色に、デルタの「血の色」が非常にマッチングしてました。

車のボディの真ん中を走る「青と黄色」のサンドイッチラインが、刃渡りのようにも感じ、ぶっちゃけ「切腹」を連想してしまいます。

そう思うと、桜の「儚さ」をより強烈に感じました。

ここは「四国中央市」にあるお寺の桜なのですが、この向かいに「助産医院」があり、娘はココで生まれました。

深酔いして帰った日に、予定よりも早く産気づかれ、あわてて深夜に向かいました。

嫁さんよりも自分が気持ち悪くて、トイレに立てこもってしまい、勘違いした助産婦さんが、トイレの前で私の番をしてくれてました。

陣痛なのにほっとかれた嫁さんは、未だにこのことで、私を時々イジります。

そんなこともあり、通院しているときに、ここに立ち寄り、和尚と仲良くなりました。

車好きの方だったので、真っ先にこの車に反応頂き、その後交流させて頂いている次第です。

しかし松山に越し、県外に転勤してからあまり伺えていません。

近いうちに、久しぶりの車談義と、花見もしたいものです。

もちろんデルタに乗ってですが。

2024年3月23日土曜日

鞠子宿


「東海道五十三次」の20番目の宿場町として有名です。

静岡市西部にあり、〝まりこじゅく〟と読むそうですが、丸子の字も当てるそうです。

何故、そんなに有名なのかと言えば、浮世絵師「安藤広重」が手がけた「東海道五十三次」にて、この写真の建物がほぼそのまま描かれているからです。

しかも〝とろろ汁〟の説明書きまであります。

この建物の店名は「丁子屋」。

慶長元年(1573年)の創業で、日本最古のレストランとも呼ばれています。

歴史作家の「司馬遼太郎」も、この店を好意的に取り上げてました。

高速の東名で素通りしやすい地域で、なかなかついでに立ち寄りにくいのですが、昼食時を狙って
伺いました。

観光バスも乗りつけており、かなりの人手でした。

予想通りですが、多くの方を案内できる離れがあり、そこに通されました。

シンプルなメニューで、とろろとお櫃のご飯に少々の漬物、以上です。

結構いい値段する分、容量は多めで、4、5杯はありそうです。

でも、そんなに〝とろろ〟をかけただけのご飯を食べれません。

3杯目の途中から気持ち悪くなりました。

隣にいた夫婦連れも、会話から同じ反応でした。

車だったので、ビールとかで紛らわすことも出来ず、完食はあきらめました。

創業時の献立を律儀に守っておられるのかもしれませんが、現代人には厳しいかと。

リピーターとかいるのでしょうか?

その後なかなか苦しい腹持ちのドライブとなりました。

粗利は相当高いと思います。

2024年3月16日土曜日

北斗星


何とか廃止前に乗車することが出来ました。

豪華寝台列車の代名詞「北斗星」です。

「上野駅」の最も左側フォームにある、寝台列車専用の「13番線」に入線してきたところを収めた一枚です。

牽引機関車「EF81」の赤いボディが目映く感じます。

「(日本の)北の玄関口」と呼ばれる「上野駅」の、夕刻の雑踏はすさまじいものがありますが、このフォームだけは別世界です。

時間の流れが違います。

多くの「撮り鉄」のシャッター音を聞きながら乗り込みます。

北海道の「札幌駅」に一晩かけて向うのです。

季節は夏の時期だったので、日が暮れるまで数時間あります。

部屋に荷物をおいて、すぐに食堂車に向かいました。

洋食のコースにしてます。

値段は張りますが、仕方ありません。

まさしく「一期一会」の心境でした。

予定されている「北海道新幹線」の開業や、老朽化も含めた「廃止」が噂される中、これが最初で最後の機会となると思いましたし、実際そうなりました。

既に、一般の「ブルートレイン」の食堂車は廃止されている時代でした。

私にとって、食堂車での食事自体がそもそも初体験なのです。

豪華に見える調度品でデコレートされた食堂車内を見回しつつ、夕焼けに染まる車窓を眺めながら、ビールを飲みました。

自分史上、一番旨い味に感じました。

今のところ、鉄道に関わる人生において、このシチュエーションが絶頂です。

これを超える体験をするには海外に向かうしかないかもしれません。

それでも難しいと思いますが・・・。